■Infomation
シャーマンの残りの3個師団はテネシー川をうまく渉り、情報の欠陥もあってそこがミッショナリー・リッジの北縁だと思う場所を占めたが、実際にはビリーゴート・ヒルと呼ばれる完全に別の尾根だった。東方向にあった東テネシー・バージニア鉄道のタイナー駅で兵士達が文字通り列車に乗り込むばかりだったパトリック・クリバーンの師団が呼び戻され、ミッショナリー・リッジ北縁のトンネル・ヒルの南軍右翼を補強するために急行した(トンネル・ヒルは通称、チャタヌーガ・ハリソン・ジョージタウン・チャールストン鉄道のトンネルがその下を通っていた)。11月24日にはこの右翼で戦闘が起こらなかった。 その夜、ブラッグは2人の軍団指揮官に撤退すべきか踏みとどまって戦うべきかを問うた。ウィリアム・J・ハーディは撤退を推奨したが、ジョン・ブレッキンリッジはミッショナリー・リッジの強固な陣地で戦うことを主張し、ブラッグを説得した[7]。その結果、ルックアウト山から撤退した部隊は右翼に就くことを命じられた。北から南に、クリバーン、スティーブンソン、ギスト、チーザム、アンダーソン、ベイトおよびスチュアートの各師団が順に並んだ[8]。アレクサンダー・W・レイノルズの旅団がアンダーソンとベイトの間に入り、ジョセフ・H・ルイスの旅団がクリバーン師団に付けられ、マーカス・J・ライトの旅団は右翼後衛を守った。それまでの軍団編成が解かれ、北側の4個師団をハーディ、他の3個師団がブレッキンリッジの指揮下に置かれた。 11月25日、グラントはその作戦を変更し、シャーマンとフッカーによる挟撃作戦を要求した。トーマス隊はシャーマン隊の後を進み北からミッショナリー・リッジに向かうものとされた。この尾根は恐ろしく強固に防御できるところであり、兵士は厚みをもって配置されていたので、シャーマン隊とフッカー隊による側面攻撃の支援が無ければ、正面攻撃は自殺行為だと考えた。午前中の時間帯で、シャーマンはクリバーンの前線を破れず、フッカーの行軍はクリークの橋が焼かれていたために遅らされた。午後3時頃、トンネル・ヒルを守っていた部隊が急斜面を駆け下りて突撃し、シャーマン隊を敗走させビリーゴート・ヒルまで押し返した。 クリバーンはその師団に他の師団から2個旅団と2個連隊を加えただけであり、シャーマンのテネシー軍2個軍団(オスターハウスの師団はフッカーの方に付いた)に対抗した。シャーマン隊はポトマック軍のハワード軍団とカンバーランド軍のジェファーソン・V・デイビスとアブサロム・ベアードの各師団だった。クリバーンに拠れば、実際にはわずか1個旅団、1個連隊および2個大隊だけで戦闘の大半を戦ったということである。戦争の残り期間、その連隊は「トンネル・ヒル、テネシー州」に対する戦闘名誉章として、その師団には特異な青の連隊旗を携行した。 午後3時半、グラントは南軍の右翼でシャーマン隊が潰えたことでブラッグがその補強をしていることを恐れた。このために、トーマス隊に前進して谷底の南軍前線射撃壕を捕獲し、そこに留まって次の命令を待つように指示した。その先にはミッショナリー・リッジの山腹と尾根に掛けて、次々と射撃壕(塹壕の当時の呼び方)が続いており、それらへの攻撃を待てと言う指示だった。北軍は前進し素早く最初の射撃壕線から南軍を追い出したが、そこで尾根にかけて残っている2つの前線から手厳しい射撃を受けることになった。トーマス隊の大半はチカマウガで大きな損失を経験しており、新参のシャーマン隊やフッカー隊からは嘲笑をうけていた。このとき彼等は上からの射撃を浴び、進むも退くも明確な作戦は無かった。 この時点で、頂上の射撃壕線は現在考えられる軍事的頂点では無く現実の株 に置かれているという事実で、尾根の頂点近くに盲点となる逃避場があったので、北軍兵は残っている前線に対する攻撃を続行した。この2回目の前進は現場の指揮官によって行われたが、兵士達の中には自分達で斜面の上から打ち下ろされる銃火からの待避場所を求めた者もいた[9]。北軍の前進は秩序だってはいなかったが効果はあった。最後は、グラント自身が難攻不落の南軍前線と信じていたはずのものを圧倒し、蹴散らした。かくしてカンバーランド軍のミッショナリー・リッジ登りはこの戦争の中でも最も劇的な出来事の一つになった。ある北軍士官は次のように回想した。 隊形についてはほとんど注意が払われなかった。各大隊が連隊旗を頂点に三角形になった。...旗手が前線の前に飛び出し倒れる。その僚友が旗を持ち...彼もまた倒れる。続いて他の者がそれを掴み上げ、...挑戦的にそれを振る。運が良ければしっかりと資産運用 目指して進んでいく...[10][11] 午後4時半までにブラッグ軍の中央が完全に崩壊し、恐怖に捕らわれて逃げ出した。ミッショナリー・リッジは放棄され、東のチカマウガ川(南チカマウガ・クリークとも呼ばれる)まで逆落としに撤退した。この狼狽えた逃亡の中で唯一の例外はクリバーンの部隊であり、その師団は他の師団からの2個旅団で補強されていたが、崩壊の時にはテネシー軍に対する勝利の後で座り込んで食事を摂っていた。完全な混乱の中にいなかった唯一の部隊として撤退するのも最後になり、ブラッグ軍全軍が東方に退いていくときに殿軍を務めた。 午後2時半頃、グラントはウェストポイント時代の級友トマス・J・ウッドと話をしていた。「シャーマン将軍が大変な時にあるようだ」とグラントが述べた。ウッドは「そうだ、将軍、彼は暖かい場所にいるようだ」と答えた。グラントは「彼が大変な時を過ごしているかのように見え、我々は彼を助けに行くべきとも思える。」と応じた[12]。2人はもう少し会話をして、グラントは明らかにウッドとフィリップ・シェリダンの師団を尾根の底にある南軍射撃壕に対して送り出す決心をした。続いてグラントはトーマスにその考えを提案した。何らかの理由でグラントとトーマスの間は冷え込んでいた。トーマスはグラントの考えを否定した。一方第4軍団指揮官ゴードン・グランジャー少将が近くにおり、完全に砲台の動きに気を奪われていた。 グラントはイライラしてトーマスに向かい、グランジャーに「その軍団の指揮を執り、貴方の部隊を前進させ、敵の最初の射撃壕線を占領するよう」命令することを求めた[13]。トーマスはその命令をグランジャーに渡した。午後3時頃だった。信じ難いことだが、グランジャーはその命令を無視し砲台指揮に戻った。グラントからさらに叱責を受けた株 で、グランジャーは遂にウッドとシェリダンに命令を出した。伝令はジョン・M・パーマー少将の個人向け国債 に属するアブサロム・ベアードとリチャード・W・ジョンソン各准将にも行った。グランジャーのウッドに宛てた命令は「直ぐに行動を開始すること、貴方の命令を貴方の旅団指揮官にも即座に伝えること、前進の合図は砲台の6門の大砲からの急速連射である。」という内容だった[14]。 左から右にベアード、ウッド、シェリダンおよびジョンソンの師団が並び、総勢は23,000名だった。各師団はジョンソン師団が2個旅団の他は皆3個旅団だった。旅団はすべて横隊で配置に付いた。旅団の並びは左から右にエドワード・H・フェルプス大佐、フェルディナンド・ヴァン・ダービア大佐、ジョン・B・ターチン准将、サミュエル・ビーティ准将、オーガスト・ウィリッチ准将、ウィリアム・B・ヘイズン准将、ジョージ・D・ワグナー准将、チャールズ・G・ハーカー大佐、フランシス・T・シャーマン大佐、ウィリアム・L・ストートン大佐およびウィリアム・P・カーリン准将だった。各旅団は2列横隊になり、散兵が先導した。 グラントの尾根の底にある射撃壕線で止まれという命令は、それを実行する圧倒的に多くの将軍達に誤解されていた。或る者は攻撃者が頂部からの銃火や反撃に最も脆弱になる瞬間に攻撃を止めるのは愚かと考えたのでその命令を疑った。他の者は、明らかにその命令の歪曲したものを受け取っていた[15]。 午後3時40分頃[16]、ipo がターチンに説明できる前に合図の大砲が鳴った。連隊士官の中には同じ旅団から矛盾した命令が出たことに抗議した者がいた。どこで停止するのかを問われたときウィリッチはある士官に「わからない、こんちくしょう、予想する」と告げた[17]。シェリダンはグランジャーに命令の復誦を送り、目標は底なのか頂上なのかを尋ねたが、回答を得る前に合図の大砲が鳴った。ターチンとカーリンは尾根の頂上を陥れることを期待されていると考えた。大半の士官はどの部隊が隣にいるかを知らされただけだった。